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2018/01~09  無 聊 の 記       最終更新日:
 

 

  2017年10~12月の無聊の記  Face Book へ
 
  

09/30:ヒット数急増
2018年9月27日、私のホームページのヒット数が一日139件(29日は121件)と 過去最高を記録した。 私のページのヒット数のカウンタは、IPアドレス毎に一日何回アクセスしても、違う 人がアクセスしても、1回しかカウントしない仕組みにしている。 同じ家庭で、夫と妻もしくはその家族がそれぞれアクセスしても1回しかカウントされ ないので、私を除くと最低でも138人以上の人がこのサイトを訪問したということだ。 来年1月で、ホームページを公開して20年となるが、2018年9月末時点で累計219 千件を突破した。 1989年の夏に胃がんで入院した時、当時の先端医療で内視鏡による「がん」の除去が できたが、体調は良好なのに2週間ほど入院を余儀なくされ、何もすることがないので、 個人のホームページを作る決心をした。 当時人気のYahoo!JAPANはディレクトリ型検索エンジンを採用していた為、ヤフーに自分 のホームページを登録する必要があった。 ヤフーは、登録されたデータを、人間の手などを介してカテゴリごとに分類していた。 その審査は厳選されていた為、個人規模のサイトが検索結果に反映される事はあまり無く 個人のホームページを一発で登録するのは至難の業であった。 (Google日本語版が上陸したのは、2000年になってから。) 私がホームページを作ろうと思ったとき、勤めていた会社にもホームページはなかった。 当然、教えてくれる人は全くいなかった。 お金をかけたくなかったので、ホームページビルダーのような、有料ソフトも買わなか った。 とにかくインターネットを見て、気に入ったサイトのHTMLをコピーし、自分なりに 改造して動きを理解するようにした。
本もかなり買って、「HTMLとは何か」 から勉強した。 最初はチンプンカンプンで、途方に暮れた が、とにかく真似して何とか自分のページ が動くようになると、段々コツが分かって きた。 この頃は、会社の仕事はそこそこに、自分 のホームページ作りに熱中した。 もし、中高時代にこれくらい勉強していた ら、東大でも入れたかもしれないと思う位、 集中して勉強した。
(上図は初めて作ったgif画像。卵をクリックすると、当時のページに飛びます) 私が会社で初めてコンピュータに触れたのは、1970年でFACOM230-10、メモリーは なんと8Kであった。当時はパソコンはなく電卓も巨大で30万円以上しました。 FACOM230-10の入力媒体は、紙テープで、プログラムもすべて紙テープで作り、オブジ ェクトも紙テープでした。 最初に買ったパソコンは1987年のNEC PC9800シリーズのPC-9801 VX2である。(9年後の1996年1月•ヤフー株式会社設立) 本体が40万円ぐらいでディスプレイテレビPC-TV453が10万円ほどした。プリンター はドットインパクトプリンタでこれも20万円ほどした。 これでメモリーは640K、5インチのミニフロッピーディスクが2台、ハードディスクは なかった。 パソコンだけでもNEC,SOTEC,IBM,TOSHIBA,SONY,富士通, DELL,HPと中古品もあったが10台以上買ったことになる。 1989年の8月から12月末まで、登録されるよう頑張り、ヤフーの審査に合格して、 一発で登録できた時は、かなりの高揚感があった。 それから間もなく20年になる。 歳もとり、根気もなくなってきたので、これを機にこのサイトを閉めようと思っている。
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09/23:秋分の日 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 9月になって、晴れの日が極端に減った。  最近は気温も低く、朝は15℃位しかなく、上着が  必要な寒さだ。  彼岸になり、曼殊沙華の季節だとわかっていたが、  中々写真を撮りに行ける日が来ないまま、我が家の  近くの花は峠を越してしまった。  
    今日の天気予報では、午前は曇り、午後から雨となっ ていた。 このところ外出していないので、億劫だったが、意を 決して相模河畔へ出かけてみた。 季節は完全に夏が終わり、秋に突入していた。 犬槇 (いぬまき)の実が、食べられる色になっていて
     子供のころを思い出した。  河川敷に行ってみると、土手のヒガンバナは、ちょうど  見頃を迎えていた。  彼岸花は、盛りを過ぎると途端に見苦しい花になって、  撮る気が失せてしまう。  曇り空で薄暗い環境だったが、活き活きとした花に結構
    感動を覚えた。 最近は、赤い花だけでなく、黄色がかった白い花も 増え、コントラストを楽しめるようになった。 相変わらず、この土手には花を撮りに来る人はいず 時折ランナーが通り過ぎるだけだ。
     帰り道は、住宅街を通ってみたが、新しい家が多くなっ  ていて、活気を感じることができた。  我が家の周りも新築が多く、3階建てもたくさん建って  いる。  子供たちが通った小学校も、クラスが増えているそうだ。   
   

09/20:人はなぜ、戦争や人殺しをやめられないのか
人類以外の生物でも、同じ仲間を殺すものがいる。 熊の雄は、自分の子でない子熊を殺し、チンパンジーも、自分の仲間を殺すことがある。 それ以外でも、共食いする魚や、自分の兄弟を巣から落として殺す幼鳥もいる。 カマキリのメスは、交尾したオスを食い殺す。 しかしその多くは、自分のDNAを残すためとか、生きるための栄養を確保するためで、 相手を憎んだり、嫌った結果ではない。 まして、道具や武器を使って殺しあうことなど、見たことも聞いたこともない。 唯一、文明を持つ生き物であるホモサピエンスだけが、憎しみや信念、金儲け、という 「虚構」によって殺人を犯し、祖国、領土、愛国心、信じる神の違いの為に、戦争して 殺しあう。 Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」は賢くなったため、戦争や人殺しをするように なったのだ。 ホモ・サピエンスは、「認知革命」により、地球上のあらゆる生物と差別化され、文明を 持った生き物となったが、文明を持ったがために不幸も背負わされることになったのだ。 他の動物たちが言語化できない「虚構」、すなわち、架空の事物について語る能力を持っ た、7万年前の「認知革命」が、その後の人類の礎になったと「サピエンス全史」の著者 ユヴァル・ノア・ハラリは主張する。 「虚構」、すなわち架空の事物について語る能力が、サピエンスの言語の特徴である。 虚構を信じる力を獲得したことで、ホモ・サピエンスは現在の地位を手に入れた。 認知革命によって、人類の発展に繋がる特徴である、言語、貨幣、発明、芸術、交易、伝 説や神話、神々、宗教、階層化した複雑な社会が現れた。 人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の 増加は、より良い食生活や、より長い休暇には結びつかなかった。 むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。 小麦、稲、トウモロコシ、ジャガイモ、キビ、大麦等、のほんの一握りの植物を栽培する ことにより、単位面積当たり、はるかに多くの食物を得られるようになった人類は、指数 関数的に数を増やせた。 しかし、その結果、穀倉などを守るために、城壁や見張り番も必要となり、帝国を産む必 然性が生まれた。 また、植物を栽培するための土地を所有する必要が生まれ、領土や領地の争いの結果、殺 人や戦争が常態化した。 2千5百年前、普遍的な貨幣としての硬貨の発明があった。 貨幣は言語や国家の法律、文化の規準、宗教的信仰、社会習慣の壁を越えた、最も普遍的 で最も効率的な相互信頼の制度として確立された。 貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、 人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものとなった。 この結果、お金さえあれば、尊敬され、信頼され、楽な生活も、権力さえも得ることがで きると思い込み、多くの人間は拝金主義に陥った。 お金をめぐる殺人は、日常茶飯事であり、愛国心や領土争いが原因で多くの戦争が起きて おり、終わることを知らない。 「妄想」とか「虚構」にしか過ぎない「国とか民族とか、愛国心」に立脚した政治では、 戦争は避けられない。 また、人類の美徳である信念や宗教も、人類を滅亡させる源泉となる。 2千5百年前に仏教が起こり、2千年前にはキリスト教、1千4百年前にはイスラム教が 開かれた。 宗教は歴史上屈指の重要な革命で、帝国・貨幣と同様、人類の統一に不可欠の貢献をした。 一方で異なる神を信仰する宗派や、国、民族を排斥し絶滅しようとする原動力となった。 5百年前の科学革命以降、資本主義の台頭、2百年前の産業革命、そして現代と変遷して いく。 「科学の発展」は「富を創出」し、「帝国を拡大」した。 この関係は、500年前に起こり、ヒトの生活の変化速度を劇的に早めることになった。 急成長する帝国は、世界を覆いつくし、そのサイクルの中で資本主義や合理主義といった、 神のいない宗教(イデオロギー)が生まれ、植民地が生まれ、奴隷貿易が生まれていく。 生産性が加速度的に向上し、エネルギー革命はついには原子爆弾を生み出す。 一方で、人類以外の生物は、上述のような革命や発明・進歩がなかったために、戦争を起 こせず、殺し合いも一定限度を超えることはなかった。 科学革命で我々の生活は、革命的に便利になり豊かになった。 しかし、産業革命や農業革命以前の人類と比べて、幸せになったと言えるだろうか? それでもなお「賢い人間」と自らを呼ぶのは、嘲笑や軽蔑を表わすための自虐表現なのか? 最上部へ

09/18:人の死 人はなぜ、何のために死ななければならないのか?
38億年前、地球に生命が誕生してから20億年の間、生物は死ななかったという。 この間は、大腸菌などのバクテリアの時代で、始原生物とか原核生物と言われ、この 原核生物は、遺伝子のセットが一組だけで、これを無限にコピーして、親も子もない 世界を築いていた。 この一倍体の生物には、事故死がなければ「死」というものは存在しない。 今から15億年前、DNAを持つ真核生物が誕生して初めて「死」が生まれた。 真核生物も10億年前までは、単細胞生物だったが、そこから遺伝子のセットを二組 持つ二倍体細胞生物(多細胞生物)へ進化し、「オス」「メス」という性が生まれ、 有性生殖が始まった。 「性」が生まれたのと同時に、「死」が生まれたという。 二倍体細胞生物は、卵子や精子を作るとき、減数分裂という、自らの二組の遺伝子を 半分にして、細胞分裂を行う。(染色体の数が半分になる) 減数分裂の結果、一組の遺伝子セットを持つ卵子や精子という、一倍体の細胞となる。 真核生物では染色体は母系と父系から1セットずつ受け継がれるため、相同な染色体が あわさって二倍体となっている。減数分裂で相同染色体が分離され、一倍体とならない 場合、受精の度に染色体数が倍になってしまうことになる。 生殖細胞は減数分裂により染色体数が半減してできるが,そのとき,相同染色体同士が 対合している過程で染色体が交差し,組み換えが起こる。 これにより有性生殖をおこなう生物の子孫は、常に新しい遺伝組成を持つことができ、 環境の変化や、バクテリアやウイルスといった外敵に抵抗できるようになった。 しかし、組み換えによる突然変異によって不良品も生まれるので、これを排除する必要 がでて、「自死装置」であるアポトーシスが発動されるようになった。 細胞には二つの死に方があり、もう一つはネクローシスと言われ、打撲や火傷、心筋梗 塞などの事故死がある。 細胞に事故死がなく、長生きすると多くの化学物質や、紫外線、放射線などで遺伝子は 日常的に傷を負うことになる。 多くは日々修復されるが、直しきれない傷は、変異として生殖細胞にも蓄積され、種の 絶滅につながる。 この危険性を確実に回避するため、傷ついた遺伝子を個体ごと消去する必要が生まれた。 人間の体は、アポトーシスによって細胞が日々消去され、その一方で新しい細胞が分裂・ 増殖し、バランスを保って命を維持している。 再生系の細胞は分裂・増殖とアポトーシスによる消去を繰り返すが、分裂できる回数は 限られ、人間は50~60回で上限に達する。 しかし、すべての細胞がアポトーシスによって入れ替えられるのではなく、脳の中枢神経 細胞や心筋細胞など、殆ど増殖せず生き続ける非再生系細胞は、およそ100年という耐 用上限時間(寿命)があり、アポビオーシス(寿死)という遺伝子に支配されない細胞死 によって死滅する。 この二つのプログラム化された細胞死によって、個体が死に、古い遺伝子を丸ごと消去す ることによって遺伝子を更新し、環境に適応し、次世代に続く生命の連続性を担保してい るのだ。 このように、人類のような多細胞生物が生き残るためには、個体の死が必須なのだ。 しかし、何のために人類は生き延びる必要があるのか、絶滅した恐竜は何のために生まれ 何のために絶滅する必要があったのか? そもそも宇宙や地球や生命体は何のためにあるのか? 人の死に、理由や意義が必要なのか? 良い死に方、悪い死に方にどんな差があるのだ? 命の価値は、人類だけにあるのか? 牛や豚ニワトリなどの家畜の死は、人類を存続させるためだけの価値しかないのか? 命の価値とは何だ? 70年以上生きてきたが、何もわかっていない。  (田沼靖一著 幻冬舎新書「ヒトはどうして死ぬのか」などを参考にしました。) 最上部へ

09/08 異変 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 このところ、ホームページの更新をさぼっている。  公開してもうすぐ20年となるが、さすがにマンネ  リ化し、意欲もなくなってきた。  体力も落ち、カメラを持ってあちこちに飛び回る気  力もうせてきた。    
    そんなほったらかしのホームページに、最近訪問者が急増している。 ちょっと前までは、ひどいときは10人以下の時もあるほどで、平均でも20名台で あった。 それが最近は、60名を超え多いときは80名を超えるようになった。 これまでの傾向では、土日の訪問者は少なかったが最近はむしろ多くなっている。     今日はこの文章のために写真を撮りに出かけた。 彼岸花がつぼみを延ばす傍らで、朝顔やヒマワリが頑張っていた。 ちょっと歩くと汗が滴り、体力の消耗を強く感じ、這う這うの体で自宅へ逃げ込んだ。
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06/24 熟女のあじさい (写真をクリックすれば大きくなります。)
 雨の日曜日、9時過ぎにぽつりぽつりとわずかな雨  になった。  雨だれの似合うあじさいは今日が最後と思い、相模  河畔へ急いだ。  案の定、あじさいは最後の化粧中だった。  くずれかける寸前の熟女のような妖艶な色付きは、  少しくどい感じもあったが、思ったよりも美しくは  あった。
       

06/15:西彼杵半島、長崎・諫早市 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 甥の結婚式出席のため長崎へ帰郷した。  久しぶりの長崎なので、まだ行ったことのない西彼  杵半島へも足を延ばしてみた。  電車もバスの便もなく、知人の車に頼るしか動くこ  とができない。  梅雨の季節だったが、日ごろの行いのせいか(?)  晴れに恵まれた。 
       


 今年の梅雨入りは、もうまじかだと言われているが、  今朝も曇り空で、湿度が高い。  先日から咲き始めたあじさいが、色彩をまとい始め  目を楽しませてくれるようになった。  毎年の楽しみだが、いつも咲き始めが一番美しく、  感動を覚える。、  
       

05/26:OB会 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 現役時代の会社の、秦野製作所(工場)の、OB会  総会に出席した。  総会ではあるが、実質は昼間からの飲み会である。  90歳を超えた方もおられ、80歳後半の方もすご  くお元気で圧倒された。  私は体調があまり良くなかったので、一次会で退散  した。
       

05/20:小満のころ (写真をクリックすれば大きくなります。)
 小満とは、24節気の一つで、毎年5月21日ころ  から6月の4,5日ごろまでの季節を指す。  空気は爽やかで、全ての草木がしだいに成長して、  天地に満ち始める、1年の中でも最も快適な季節で  す。  今年は、花々がどれも例年になく早く咲き始め、あ
    じさいも既に色づき始めました。 ヒペリカム・ アンドロサエマム、別名小坊主弟切 (こぼうずおとぎり)は2週間前から次々に花を咲 かせ、ユリも大きな花を盛大に広げ勢い良く咲いて います。 ジャガイモの花や、大根の花も飾られることはあり ませんが、季節を感じさせてくれます。
     軒先に、忘れられたように置いてあった小さなサボテン  から、思いがけない形の花が咲いていたり、庭先のネズ  ミモチノキの花も、周りをぼかして撮ってみると、5月  の空気を見事に表現してくれている。  こんなに見事な季節に74歳の誕生日を迎える老人は、  手元不如意で、腰痛もあり出かけることが少なくなって  いる。 
       

05/12:河川敷のバラ園 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 季節外れの寒さが一転、初夏を通り越して、真夏の  陽気になった。  陽射しが強く、日焼け止めが必要なほどだったが、  帽子もかぶらず出かけてしまった。  相模川の河川敷に数年前からバラが植えられ、今年  はお祭りもあるようだ。  
    しかし、実態はバラの苗木を無造作に植栽しただけで、 バラ園と呼ぶには気恥ずかしいと言わねばならない。 それでも、ただで見ることができるのだから結構なこ とだ。 今の時期は、色々な花が咲き誇っており、花の名も調 べないまま写真だけを撮りまくっている。
     昼顔とドクダミは、頼みもしないのに今年も健在で、我  が物顔に咲き競っている。  こんな誰もがほったらかしにしている花が、園芸種の花  より、自然を感じさせてくれるので私は好きだ。  便所草なんてひどい名前で呼ばれながら、絶滅危惧種に  は絶対にならない強さがある。
    姫檜扇 (ひめひおうぎ)も、ツユクサも、ナガミ ヒナゲシも人様に頼らず、あちらこちらに顔を出し ている。 これらの花たちは、私が病気になる前は、咲いてい ることさえ気付かず、興味もなかった。 毎年この時期になると、今年もまた見ることができ
     た幸せに、感謝の念が湧き出てくる。  しかしながら、その一方でもうそろそろおさらばしても  いいのじゃないかという気にもなっている。  段々目の調節機能も落ちてきて、遠近両用メガネでは、  イライラすることが多くなった。  足腰の衰えとともに、人生の黄昏を強く感じる。   
   

04/20:あつぎつつじの丘公園 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 園内には約5万2千本ものつつじ,咲き始めるのは、  毎年4月中旬からだが、今年は他の花と同じく1週  間から10日くらい早い。  (満開 見頃)  ミツバツツジ,ヤマツツジ,キリシマツツジ  (つぼみ 一部開花)  ヒラドツツジ,リュウキュウツツジ,オオムラツツジ
    といった、つつじが鮮烈な美しさを見せている。 萎れた花がなく、葉も若々しい、うす緑のこの時期が最 も美しい。 開園時間が、10時からと遅いのが玉に瑕だが、この時 間までに行くと見物客はまばらで、駐車場も余裕たっぷ りだ。
     運動不足の身には、適度なアップダウンもあり、まだ完  治していない腰痛のリハビリと思って我慢して歩いた。  この日は、午前10時の段階で既に20℃を超えており、  シャツ一枚でも暑さを感じた。  50段ほどの階段を上ると、汗が吹き出し、鼓動が早ま  ってくる。
    湿度が低く、風もさわやかなので気分は爽快だ。 花の色も、新緑も春の輝きそのもので、若々しく、 つつじとしてはこれまでで一番だと思った。 1時間ほど撮影し、近くの七沢森林公園の藤の花を 見に車を走らせた。 ところが、行ってがっかり、藤棚はつぶされ駐車場
     に変身していた。  舌打ちをしながら、自宅へ戻り、さっそく写真の整理を  行った。  思ったよりピンボケの写真が多く、がっかりした。  露出優先でPLフィルターを使ったので、シャッタ速度  が遅くなったのが原因だ。 
    こんな初歩的なミスを、性懲りもなく繰り返してい るのだから、我ながら嫌になる。 同窓生からは、プロ並みだとお世辞をもらい、この 体たらく。 やはり、年寄りの道楽です。
   

03/31:河畔の枝垂れ桜と染井吉野 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 遅咲きの枝垂れ桜と染井吉野が競うように咲きこぼ  れている。  遅咲きと言っても、今年は1週間以上早い。  腰痛を押して、レンズを3本バッグに入れて河畔へ  向かった。  ソニーテクノロジーセンターの裏手、相模川右岸の  土手までは、徒歩5分程度で行くことができる。
    この日、染井吉野は、白い花弁がひらひらと舞い始めて いたが、まだ満開の風情をけなげに残し、枝垂れ桜の淡 いピンク色との競演がひときわ美しかった。 普通、枝垂れ桜のほうが染井吉野より早く咲くのだが、 ここの枝垂れは、染井吉野が終わるころ咲き始める。 何年もこの季節に訪れているが、両方の見頃がこんなに
     見事にマッチしたのは初めてのことだ。  染井吉野は土手の上、枝垂れ桜は、その下の河川敷の、  スポーツ広場の端に咲いている。  土手の階段を下り、枝垂れ桜の根元から見上げると、青  空に白い染井吉野が輝き、桜色の枝垂れ桜。  こんなに見事なのに、花見客はまばらで、静寂さが周り
    を支配している。 都内なら、こんな贅沢は到底許されないだろう。 さわやかな川風と、初夏を思わせる陽光に恵まれ、 初対面の花見の人たちと、自然に笑顔で挨拶をして しまう自分が訝しかった。 つい一月前までは、寒さに震え、家に閉じこもって
     いた老体を、包み込むこの柔らかで輝かしい世界は、全  く信じられない異次元の世界だ。  しゃべる相手も、行くところもなく、自分の部屋で独り  言をぶつぶつつぶやき、禁じられている日本酒のコップ  酒を飲み、眠くなるとひと眠り、怠惰この上もない生活  を送っていたのに、春は偉大だ。 
   

03/25:春爛漫・百花繚乱 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 今年の桜は、去年より1週間以上早く咲き始め、カ  タクリの花と競い合いました。  遅咲きの梅の花も残っていて、コブシやモクレン、  花モモ、菜の花、雪割草、玄海つつじ、ぼくはん椿、  みつまた、菊咲きイチゲ、緑桜、姫コブシなど、目  が回ってしまいます
        10日ほど前から、原因不明の腰痛に悩まされ、歩くの もつらい状態になりましたが、このところの温かさで少 し良くなり、やっと外へ花見に行く気が起こりました。 24日の「かたくりの里」は、予想外の前日夜の雨で、 雨露が残り、清廉な美しさを見せてくれたのは幸運でし た。
         例年なら、千鳥ヶ淵や新宿御苑など都内にも出かけるの  ですが、マンネリ気味を理由にして、今年は行くのをや  めました。  23、24の二日間で、300枚以上撮りましたが、厳  選して60枚ほどに絞りました。  これまでは、ピント外れなどの完全失敗作を除いて、何
        でもアップロードしていましたが、数を絞ってみる とこのほうが見やすく、美しさを訴える事ができる ように感じました。 それにしても、数年前の写真と比べてみても、腕は 全然上がっていないのは歴然です。 才能がもう少しあればと、嘆きたくもなりますが、
         しかたがありません。  それにしても自然は、何のためにこんなに美しいのでし  ょうか?  理由なく美しいとしたら、どう考えればよいのか、混乱  してしまいます。  とにかくも、この美しい地球の自然を、愛し、土の一部
        となって、散り果てるわが身も、もうすぐ終わりを迎えることでしょう。

03/15:春がきたきた春が来た (写真をクリックすれば大きくなります。)
 このところ連日の陽気で、ハクモクレンが一気に咲  きました。  木全体の花が、真っ白のまま咲くのは、初めて目に  しました。  いつもの年だと、少しずつ咲いていくので、先に咲  いた花は、傷が茶色に変色して、美しさがなくなっ  てしまいます
    今年は、急に暖かくなり、全部の花が一斉に咲いたの で、見事な景色と相成りました。 花韮 (はなにら)、オオイヌノフグリ、仏の座、ぺん ぺん草(なずな)、つくし、スモモ、水仙なども、待ち かねていたかのように咲だし、冬枯れで色の なかった 世界が、急に輝いて見えます。
     今回の撮影も、露出をオーバー目に設定し、春の明るさ  を演出できるようにしてみました。  ハクモクレンの白い輝きが、色飛びしないか心配でした  が、うまい具合に収まってくれ、一安心しました。  少し雲が多く、青空は少ししかありませんでしたがPL  フィルターのお陰で、鮮やかな青空となりました。
    最近は、花の写真もマンネリになり、意欲がなくな って、あちこちに動き回る元気がありません。 体力もかなり落ちて、中腰で写真を撮ると、腰は痛 くなるし、すんなりと立ち上がることもできなくな っています。 少しの坂道でも、息が切れるし嫌になります。
     でも、こうやって写真を撮り、色々手を加えると、また  楽しみも見つかり、健康のためにも頑張らなけりゃと気  を取り直している日々を送っています。  ホームページのコンテンツを作ることで、痴ほう症予防  になるよう、朝から晩までパソコンに向き合っているの  ですが、いつまで続きますやら?   
   

02/17:ラ・サール同期会 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 毎年この時期、かなり遅い新年会が開かれる。  この会で幹事が交代、副幹事が昇格し、新しい副幹  事が決まる。  このスタイルは、1994年から始まって、今に至って  いる。  関東地区の同期会は、1963年から始まったが、当初  は発起人が5年以上幹事を務めた時もあった。  
    毎年幹事が交代することで、同期会の活性が保たれて いる。 「仲間達のブログサイト」、「フォトアルバムサイト」、 近況や随筆などを集めた「12期便り」、等のインター ネットの活用も充実、卒業50周年など、周年記念冊子 「下駄とチャンポン」の発行、貸し切り屋形船懇親会な どの周年記念イベント、カラオケ酒場、観劇会、花見会、
     ハイキング会など年間を通じて、幹事が変わりながら、  活発に活動している。  今のスタイルが定着したのは、世話好きの仕掛人のお陰  である。  卒業年次が一緒の函館ラ・サールのメンバーを加えたの  も彼の働きである。  彼は、学校全体の関東地区同窓会の元会長を務め、育英 
    基金の創設、名簿の作成配布、ゴルフ幹事、西郷隆盛 敬天愛人の会事務局次長、所沢市鹿児島県人会 会長、 埼玉県鹿児島県人会 事務局長、などよくもまあ、ま めに動けるものだと感心してしまう。 忘年会や新年会の参加も半端ではないうえ、二次会、 三次会と付き合いも尋常でない。
    歌も得意で、ほぼ毎月の同期カラオケ酒場の常連でもある。 顔面を怪我したり、スマホを壊したりしても動じない。 ここまでくると、もう立派な病気。 この病人がいなかったらLS12期会はここまで盛んにはならなかったと思うが、 今の勢いをできるだけ持続して、健康寿命を楽しみたいものだ。
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02/15:小田原フラワーガーデン (写真をクリックすれば大きくなります。)
 我が家から一般道で、1時間半ほどの小田原フラワ  ーガーデンを初めて訪れた。  テレビで梅が見頃だと知り、ネットで調べると、入  園料も駐車場も無料だ。  無料だから、大したことはないだろうと覚悟して訪  れたが、約200品種480本の早咲きから遅咲きまでの  紅梅・白梅が広い芝生の敷地に植栽され、久しぶり
    の温かい日差しの中で、ゆっくり楽しむことができた。 このところ1時間以上の運転はしていなかったので、 慎重に走ったが、来年の免許更新までは大丈夫という 確信を持った。 愛車のカーナビは10年ほど前の旧式で、目的地の手 前で案内を中止するので、スマホの地図が必要になる。
     それに、やたら狭い道にも導くので、腹が立つ。  行きは246号線を利用したが、フラワーガーデン近く  では狭いうえに、くねくね道で、駐車場に着いたらすぐ、  自宅へ帰る道を国道1号線経由に変更した。  今回の撮影は、露出をオーバー目に設定し、春の明るさ  を演出できるようにしてみようと思った。
    PLフィルターも装着し、青空が真っ青になるよう にし、レタッチソフトでもこれまでの梅の花の写真 より絵画的になるようにしてみた。 園内の梅の花は早咲きの梅で6分咲と言うことだっ たが、日差しが温かく、花数も充分でベストの時期 だと思った。
     同じ小田原の曽我の梅林は、梅干し用の白い花ばかりで  有名な割にはつまらない梅林だ。  それに比べると、ここの梅林は観賞用に植栽され、紅梅  と白梅のバランスも良く、期待以上であった。  見物客は思った程多くはなかったが、帰るころには駐車  場はほぼ満杯となっていた。  
    帰り道は、狭い道を通ることもなく、順調に走った ので意外に早く自宅につくことができた。 早速駅地下の食料品売り場に行き、500円のアジ 寿司のタイムサービス品を1割引きで買い、乾燥味 噌汁でおなかを満たした。 なんだかわびしいですね・・・
   

02/10:「悪性リンパ腫」と特効薬
昨年、高校時代の同期生から「悪性リンパ腫第4ステージで抗がん剤 治療をすすめられているが、抗がん剤は本当に効くか?」との電話が あった。 私は、第4ステージと聞き、何と答えてよいのか言葉がなかった。 彼に伝えたのは、私の場合は素人目にも劇的によく効いたが、同じ病 気、同じ病室に入院している人でも効き目が表れないという人もいる と答えるのが精いっぱいであった。 その彼が、年末に同期生にあてたメールで、下記の内容の文書を公開 した。(要約) 『2017年4月14日、自動車事故時の検査で、片肺の下部に異物 の影が認められ、検査入院の結果、悪性リンパ腫第4ステージと診断 され、筋肉が完全に腫瘍化していると言われた。 6月初めから10月初めまで聖隷三方原病院で6回の化学療法を実施。 2回目の化学療法終了後、CT検査の結果、肺、腹部4箇所の腫瘍は きれいに消え、股関節の腫瘍も半減した。 6回目の化学療法終了後、11月にペット検査の結果、股関節も含め、 腫瘍はすべて消え「完全寛解」と診断された。 同期生の丸山教授が開発した「サツマール」がリンパ腫からの奇蹟的 な完全寛解に効いたと思っています。』 という内容である。 癌の治療で「完全寛解」という言葉は検査上、癌の細胞が見つからな い状態のことで、完治したわけではない。 私の食道がんの主治医は、抗がん剤ではがんを完全に死滅させること はほぼ不可能だと言われた。 ただ、国立がん研究センター、「がん情報サービス」で調べてみると 「白血病、睾丸腫瘍、乳がん、肺がん等で、リツキシマブ等の分子標 的薬は有効な治療手段で、完全に治すことが期待できる」とあった。 一方「サツマール」であるが、丸山教授らがサツマイモから見つけた 単糖1,5-AFという物質が、癌細胞のエネルギー摂取を抑え、栄養 を免疫細胞に回し、免疫力を発揮できるようにするというものである。 丸山教授は十数年前からその生理作用を研究。 その結果、細胞内エネルギー制御に関わることを発見し、その標的分子 を同定した。 発見した分子は、生体内エネルギー代謝調節因子AMPKという分子の活性 化剤で癌の場合、この分子を活性化すると、癌細胞の糖代謝系が変化し て、癌細胞の分裂増殖が抑制される。 *(彼の解説メールは長文で、内容も素人には難しく、私の理解は間 違っているかもしれないことをご容赦ください。) 動物実験では、この分子が癌を抑えることは証明できたが、実際に 「ヒト」でも効くのかは、「2重盲検法」という方法で証明する必要 があり、それには10年以上の歳月と100億近い資金が必要なので、 まだ証明できていない。 従って、サツマールは、世界で初めてイモ類から抽出した澱粉分解物 を商品化したサプリメントと定義される。 ヒトの癌に効果があるということをいうと「薬事法違反」となる。 (健康に良いサプリメントとしては認可されている) 高校の寮で3年間、同じ釜の飯を食った仲間がステージ4のがんを制圧 できたというのは、奇跡的な快事であり、喜ばしいことである。 彼が喜び、同期の丸山君が開発した「サツマール」が効いたと思うと 述べたことも理解できる。 しかし、彼の説明では「悪性リンパ腫」とだけあり、詳しい内容は分 からないし、「化学療法」の中味も、主治医の判断も不明である。 彼が自分の病を正確に把握し、どんな治療法を選択したのかを知った 上で主張したのか、疑問に思う。 私は、このことで多くの人が、期待だけで「サツマール」に頼ること を危惧する。 もっとも丸山君は、以前私にくれたメールで 『古今東西、一番幅広く効く薬は「プラシーボ(偽薬)です。 時には二重盲検試験をすると実薬に勝ることがあります。 最近このプラシーボ効果の本態が判りつつあり、脳での中枢も同定さ れました。 信ずること、希望を持つことの科学性が少し判りかけてきた、という ことです。』 と述べているので、「サツマール」の治療効果を証明できなくても、 期待し、信じれば良いのかもしれませんが・・・ (以下は「がん情報サービス」で知りえた知識である) がんに対する(効くではない)薬は現在約100種類近くある。 「細胞障害性抗がん剤」と「分子標的治療薬」に分類される。 「細胞障害性抗がん剤」はさらに、代謝拮抗剤、アルキル化剤、抗がん 性抗生物質、微小管阻害薬等に分類される。 「分子標的治療薬」はがん細胞だけが持つ特徴を分子レベルでとらえ、 それを標的とした薬である。 悪性リンパ腫はがん細胞の形態や性質によって70種類以上に細かく分類 される。 大きくはホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫の2つに分類される。 日本人で大多数を占める非ホジキンリンパ腫は、がんになっている細胞 の特徴(B細胞性・T細胞性・NK細胞性のどれかとその成熟度)や染色体 検査や遺伝子検査などの結果を基にさらに細かく分類される。 非ホジキンリンパ腫ではⅠ期の5年生存率が86.7%、Ⅱ期が74.3%、 Ⅲ期が64.0%、Ⅳ期が54.6%である。 悪性リンパ腫の治療は、化学療法が中心に行われることが特徴である。 代表的な分子標的薬は、B細胞の表面にある「CD20」という分子を標的と するリツキシマブである。 リツキシマブはCD20に結合することで、直接的に腫瘍細胞を破壊するだ けでなく、腫瘍細胞を標識することで免疫細胞の働きを借りて腫瘍細胞 を破壊する。 CD20は、B細胞に由来するリンパ腫細胞の表面に存在するため「CD20陽 性のB細胞非ホジキンリンパ腫」の治療に使用される。 最上部へ

01/13:寒気の中の蝋梅 (写真をクリックすれば大きくなります。)
 年が明け、このところ厳しい寒さが続いている。  昨日の朝7時の気温はー4℃、今日はー3℃、正午  でも5℃に届かない。  部屋に縮こまってばかりではいけないと、新春の蝋  梅を撮りに出かけたが、猛烈な寒気がすぐ足元を襲  った。  
    咲き始めの蝋梅は、前の年の黒々とした実の残骸を 沢山残していて、金色に輝く新鮮な花の色との対比 が強烈に時の経過を訴えてくる。 写真を撮っていると、見知らぬ老婦人が寄ってきて 綺麗ですねと声をかけてきた。 とりとめもない会話を交わして自宅へ戻った。
     パソコンで現像しようとしたら、すっかり忘れていた元  旦の写真が残っていた。  息子が持ってきた高価な獺祭と妻が買ってきたこれもか  なり高いお酒をテーブルに置き撮ったものだ。  毎年分不相応に高価なおせち料理とお酒を朝から飲んで  新年が始まる。   
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