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(食道がん臨床試験の記録)

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目 次 

食道がん治療の現状

『がんは不治の病ではなくなった。早期発見さえできれば、殆どの場合完治する。』 と多くの識者が述べている。 インターネット上に出ているデータを眺めると、 愛知県がんセンターによると、 食道がんの場合、0期で発見されればほぼ100%治る。I期なら60〜70%治る。しかし II期では30〜40%、III期になると10〜20%、IV期なら稀にしか治らないとある。 国立がんセンター中央病院によると、 1996年〜2000年に手術を受けた方の5年生存率は,TNM分類による進行度I期:70.1%, 進行度IIA期:48.4%,進行度IIB期:55.8%,進行度III期:26.3%,進行度IV期: 20.3%と報告されている。(食道がん以外の原因で死亡した場合も含む). 「全国食道がん登録調査報告第3版(1998、1999)」によると、 1988〜1997年に登録された食道がん患者のうち、食道切除術を行った患者の「5年生存 率」は、粘膜上皮がんで69.8%、粘膜がんおよび粘膜下層がんで53.3%、固有筋層まで のがんで38.2%、食道外膜に広がるがんで28.5%、周辺臓器に転移していたがんで11.9 %である。 しかし、これらのデータは手術を受けることのできた患者の場合であり、手術が手遅れ の患者は含まれていないのである。 要するに、手術を受けることができ、病巣を完全に切除または壊死させ、転移が起こら なかった場合のみ生き残れるのであり、それ以外は大部分が死ぬしかないのである。 恐ろしいことに、いまだにがんに効く薬はない。抗がん剤はがんの進行を遅くする程度 の効果しか持っていないのである。 また、0期で発見される患者の割合がどれくらいあるのか、データを探したがどこにも 見当たらなかった。毎年内視鏡で検査している私でさえ、0期では見つからなかったこ とを考えるとEMRで治癒できる患者は奇跡的な幸運が必要なようである。 T期であっても、転移がないという条件でしか重粒子線治療も受けられないのである。 私が浮かれ喜んでいるのは、全くの僥倖で成り立っているのであり、転移や再発の危険 性は予測不可能という危うい、心もとない喜びなのである。 さらに、「治る」というレベルであるが、第一の標準治療である手術を選択すれば食道 はもちろん、広範囲にわたるリンパ節も切除し、胃も食道の代わりに使われ機能を失っ てしまう。それぞれの器官は固有の存在理由があるはずであるが、がんがある、転移の 危険性があるという理由で切り捨てないと命を保障できない、欠陥治療方法がもっとも 確実な方法だと推奨されている訳である。 これは完治治療ではないし、とても満足できる治療ではないにもかかわらず、転移して しまったがんには、現在の医療技術は全くの無力である。 我々はこの現状にブーイングの嵐を浴びせることもできず、黙って運命に従うほかない のである。数年前に比べると、助かる人が増えてきたのは事実だろうが、転移を確実に 予防することもできない現状は、満足できるレベルからは程遠いとしか言えない。

重粒子線治療の実際

治療室へは病院の地下1階へ降り、長い連絡通路を通って更にエレベータで地下2階まで 降りる。秘密基地のコントロールセンターような部屋の横を通り、治療室の中で固定具で ベッドにしっかりくくり付けられる。照射装置やベッドがモーター音を響かせながら動く さまは、SF映画でサイボーグにエネルギーを注入しているような感じで、これが治療な のだという実感は全くなかった。初日はうつ伏せ状態で何も見えないため奇妙な音を聞く だけであったが、2日目は仰向けであったので、眼を最大限動かして室内や装置を観察し た。それでも体を固定され、絶対動くなと指示されているので、顔を左右に動かすことも できず見ることのできる範囲は限られている。 ベッドを小刻みに動かし、位置を確定すると、 照射装置が体の近くまで降りてくる。装置内 の多葉コリメータの金属板が動き、照射野を かたち作るのが見える。丸い照射装置の下面 にガイドレールがあり、それに沿って四隅を 円柱で作った中空の箱がセットされる。 この中に重粒子の到達深度を制御するボーラ スがセットされる。箱の横のバーコードを読 み取り、私のボーラスであることが確認される。 腰の少し上に呼吸同期センサーが取り付けられ、「これから治療を始めます」というアナ ウンスが流れるが、何も変わった事は起こらない。 1回照射後、位置をずらして2回目の位置決め後、再度照射が始まる。 痛くも痒くもないまま『ご苦労さまでした今日の治療は終了です』で訳の分からないまま ベッドから下ろされる。この間小1時間だが、実際の照射は2回で5分程度だ。 治療そのものはなんら痛みを伴わないが、特に仰向けで両手を頭の上で固定した状態でジ ッとしているのがかなり辛く感じる。『絶対に動かさないで下さい』と念を押されるため 体がコチコチになってしまう。終わると肩の関節が固まって、おっかなびっくりで動かす ということになる。最後の週は1箇所のみの照射となった。 (呼吸同期照射法) http://www.nirs.go.jp/report/nirs_news/9711/hik4p.html 病巣部位が呼吸に伴って大きく動く肺がん・食道がん・肝がんなど胸部や上腹 部にある腫瘍に対し、呼吸周期中のある位相にのみタイミングを合わせて照射 を行う技術である。呼吸同期照射を行うと、病巣はいつも同じ位置にあるとき 照射を行えるので照射範囲をそれに合わせて絞ることができる。照射をする呼 吸の位相としては、動きの緩やかな呼気(息を吐いたとき)が選択される。 発光ダイオードを体に付け、その動きを検出することにより呼吸同期信号を発 生させ、この同期信号が正のとき照射する。

入院生活の記録(7/22〜8/18)

(治療の日程) 照射は火、水、木、金の週4日行われる。がんの種類や部位によってA,B,C の照射室が使われる。私の治療ではB室も使われたが、垂直照射のみで水平照射 は行われなかった。 A室:垂直照射専用 B室:垂直&水平照射 C室:水平照射専用 7月22日(火) 入院 6:43自宅を出発、8:30到着、いよいよ今日から入院である。家内が新しい下着や パジャマなどこまごまと用意してくれた。入院手続き後、4人部屋512号室へ 同室者:FY氏、SA氏、HG氏 FY氏:68歳 福岡県田川市出身 前立腺&膀胱がん 脳梗塞、心筋梗塞 SA氏:66歳 千葉県松戸市   仙骨がん→ 蝶骨へ転移 25日退院予定 HG氏:45歳 福岡市在住 ユーイング肉腫 肺と腎臓にも転移 抗がん剤で         ダメージがあり、痛みが時々襲う状態だそうだ。3歳の子供あり 全員非常に明るくフレンドリー、FY氏は相当な話好きでとどまるところを知らないと いった感じである。 安田先生よりPET/CTの結果説明を受ける。リンパ節等に転移は認められないとの ことでひとまず安心。 午前中に採血、中村教授が顔を出してくれる。彼はまるで身内のように細やかに気を使っ てくれ、入院中何度も病室へ足を運んでくれた。 この日の治療はA室で後半二人目と三人目であった。BGMにPIAFのシャンソンの CDを持っていき、最初の治療が始まった。 3時に終了し遅い昼食にありつく。冷やしそうめん、鶏肉のハンバーグ、ジャガイモの サラダ、リンゴひとかけら、ヨーグルト→味はまあまあ、そうめんは口に入れたとたん とろけた。このとろけるそうめんには閉口した。次からは見るのも嫌になってしまった。 夕食時、ネチネチと不満をまくし立てる人がいた。→看護婦は泰然として聞き流していた。 菅さんからメール、松田君から電話があった。 「重粒子治療順番予定」表をもらう。週間の予定表で、月曜日に発行される。
  
一日の前半と後半に分けて表示される。照射の3時間前から食事が禁止されるため、前半 の早い順番だと朝食待ちとなり、後半の早いときは昼食、遅いときは夕食待ちとなる。 照射は9時から始まるので、朝1番の照射になると朝食待ちとなり、朝食を摂れるのは10 時過ぎになる。昼食・夕食待ちも何時に食べられるか分からず、これまで規則正しく食事 をしていた身には、リズムが狂い食欲が湧かなくなってしまった。 治療室はA、B、Cの3室あり、Aは垂直、Bは垂直と水平、Cは水平から照射できる。 私の治療にはA、B室が使われたが水平からの照射は行われず、A室はうつ伏せになり背 中から、B室は仰向けで正面から照射された。A、B両室が使われたのは各室の稼動を平 準化するためだと聞いた。想像するに部屋を分けたのは、固定具やボーラスを取り違えな いための方法としても有効なのではないかと思った。 照射は一部屋ごとにしかできないため、位置合わせのタイミングが合わないとかなり待ち 時間が生じ、1時間ほどかかることが多かった。この間、体を固定され動くことができな いのが意外と苦しかった。 照射前、手渡された説明書には ☆治療の開始は7月22日から8回の予定です。(12回の間違い→以前の用紙を流用) (手書きで追記)7/22〜8/4は2方向、8/5〜7は1方向のみ ☆1週間に行う治療の回数は、週4回(火、水、木、金)です。 ☆午前治療のときは朝食を、午後治療のときは昼食をとらないでください。 とあった。 この説明書では、「回数」や「方向」という言葉の意味が曖昧で誤解しやすい。 正確には 照射日数は12日間で、週4日(火、水、木、金)行われ、1週目と2週目(7/22〜8/1) はA、B室を毎日交互に使用し、照射範囲を分割して2回照射された。 (A室はうつ伏せ、B室は仰向けになり、照射を受ける) 3週目はA室だけで、初日(8/4)は2回、残りの3日(8/5〜7)は1回の照射で終了した。 (合計21回照射されたことになる) 食堂には、空港のフライトスケジュールのような、各治療室別の照射進捗状況を知らせる ディスプレイがあり、オンラインで表示されていた。 各治療室は1日22人から27人照射されていたが、8月のメンテナンス直前の週は各室 とも10人以下のスケジュールとなっていた。 メンテナンス前、最後の8月7日のA室は私が最終の患者であった。 入院してしまえば、後は何もやることがない。火、水、木、金の照射順番を待って、呼び 出されたら、隣のビルの地下2階の照射室へ行くだけである。治療は痛くも痒くもなく、 2週目の照射が終わる頃までは体調にもほとんど影響がなかった。 中には「詐欺にあっているような気がする」という言う人もいた。確かに患部がどうなっ ているか見ることもできないし、体に何の変化もないので、照射の格好だけで実際何もし なかったとしても全然分からないことは事実だ。 314万円の高度先進医療費を前払いして治療を受けている前立腺がんの患者たちは、特に 気楽な雰囲気で、避暑地のバカンスを楽しんでいるようにも見受けられた。 これくらい楽な治療なので、入院していても手持ち無沙汰で、照射のない土日月は患者が 一斉に居なくなってしまう。呻き騒ぐ患者もいず、危篤状態の人もいないため、看護婦も 他の病院に比べると暇そうに見えた。個々の病名を聞くととてもシビアな病気だと思うが なぜか皆明るい表情をしているのは不思議なくらいであった。 7月23日(水) B室 前半一人目と二人目 BGMコンチネンタルタンゴ 9:40終了 10時朝食 本日は仰向けの姿勢だったので、機器の様子を少し観察できた。(所要30分) ビームが出てくる円形に窓の中に多葉コリメータというがんの形状に合うように重粒子線を コントロールする真鍮製の細い長方形の板を組み合わせたものが見えた。 位置決め後、ボーラスというがんの形状に合わせ重粒子線の到達範囲を決めるフィルターを セットして照射する。ドラム缶が転がるような音が少しあって、ブシュブシュと奇妙な音も 聞こえたが痛みはまったく感じない。 昼食は腹が減っていないためほんの少し箸をつけただけ。昨日と同じ冷麦が出たが延びきっ ている。 午前中、心電図検査があり本日の予定終了。 7月24日(木)  A室 前半三人目と四人目 少し胃が重く食欲があまり無い。 デジカメを持参し照射の場面を写して貰った。 照射終了後千葉市へ、インターネット接続用のカードを購入(Emobile Data Card) 2時 家内が短パン、Tシャツなどを持ってきてくれた。 7月25日(金) B室 前半一人目と二人目 胃がもたれる感じがして、少し気持ちが悪い。昼食後からガスターを処方された。 疲労感があり、やっと病人らしくなってきた感じだ。 今日はSA氏はじめかなりの人が退院していった。入院中の人も治療が終わった人から 自宅へ一時帰宅していく、その数10人以上。この病室も明日は私一人になりそうだ。 7月26日(土) 今日から3日間治療は休止。病院の中は閑散としている。5階の入院患者50人中40人 は帰宅もしくは外出している。看護婦も二人ほど、売店も休み、どうも居心地が悪い。 当直の安田医師と世間話、このような病院に対する国の予算措置など話題は広範囲に及んだ。 ついにいたたまれなくなり、今日から厚木の我が家に一時帰省する娘に電話して、車で迎え に来るよう頼んだ。 息子から連絡があり嫁と一緒に3時頃見舞いに来るという。 結局、家内が車で娘のところへ行き、その足で孫も乗せて病院まで来ることになった。 息子夫婦は2時頃、家内と娘は3時頃到着。直ぐ車で厚木へ出発。 7月27日(日) 疲れていたのか、6時半頃まで目が覚めなかった。昼間も眠く2時間ほど昼寝した。 デスクトップパソコンからノートパソコンへデータをコピーしたりメールの返事を出したり して1日があっという間に終わった。 7月28日(月) 昼食後娘の運転で病院に向かった。2箇所で事故による渋滞があり2時間以上かかった。 ついて直ぐ4人部屋から個室へ引っ越した。ベッドの上に荷物を載せベッドごと動かせば終了。 個室はトイレ、シャワー、洗面所、電話もあり冷蔵庫もあるのでかなり快適だ。 これで 1日10500円。安くはないが東海大学に比べれば値段の割りに格段に良い。 7月29日(火)  A室 前半八人目と九人目 この日から毎食前アルロイドという緑色の粘液状の薬を飲むよう処方された。この薬は10年前 の東海大学でおなじみの薬だ。 運動不足を感じ、1階から5階まで4往復、重粒子線治療後地下1階から5階まで歩いた。 午前中千葉大教授の中村さんが「KY式日本語カルタ」と「15ゲーム」という数字並べのパズル を持って見舞いに来てくれた。彼は勤務先がこの病院の近くだからと言ってもう3回も足を運ん でくれている。 7月30日(水) B室 後半二人目と三人目(今日で予定回数の半分を終了) 今日はHGさん退院の日だ。玄関まで見送る。 1階から5階まで4往復 退院といっても9月にはまた来なければならないとのこと。大変である。 彼の精神力に脱帽。 後半二人目のお呼びがかかったのは1時50分、照射終了が2時30分、それから昼食 売店はすでに閉まっている。多少胸がつっかえる感じがするが大したことはない。 7月31日(木) A室 後半五人目と六人目 冷茶を飲むと胸に抵抗感があり、胃にかけて違和感がある。何かに熱中すると忘れる程度のもの。 照射スケジュールでは夕食待ちであったが、夕食前に完了した。このスケジュールが食事を摂る 上で一番良い。 終日HP作り&「ケンペルと徳川綱吉」を読む。肩が凝った。 昼食に硬い長ネギが出たので看護婦に禁止食品ではないか、本当に食事メニューはコントロール されているのか聞いたが問題ないとのこと。 入院時渡された「食道部 重粒子線治療マップ」という紙には禁止食品として 噛み切れないもの、固い肉、刺身、イカ、貝類、ベーコン、豆類、佃煮、繊維質の多い生野菜、 海藻類、のり、ひじき、わかめ、昆布、練り物、かまぼこ、ハム、はんぺん が列挙されている。注意書きとして ・少量ずつよく噛み、熱いものは冷ましてから食べましょう。 ・味付けは薄味にし、柔らかく通りの良い食事にしましょう。香辛料、酸味の強い柑橘類、酢の物  梅干は避けましょう。 とある。 しかし出てくる食事は、ご飯はすべて全粥のほかは切り落としの豚肉、豆類、のり、わかめ、酢の 物、梅肉は平気で出てくる。なぜご飯だけが全粥なのか、さらに禁止食品の意味が分からず、全く 不可思議である。 7時過ぎ安田先生が部屋までお出でになり1時間以上色々な話をした。この冒頭で先生から食事の 話があり、禁止食品として上げているものは、重粒子線照射の副作用で食道の状態が悪くなった場 合であり、現状では香辛料、酸味の強い柑橘類、固い肉、ベーコンを避ければOKとのことであっ た。先生は放射線科医として、肝臓がんの治療などで世界に誇る実績を上げられているとのことで あったが、物腰は柔らかく謙虚な話し振りで、なかなかの人格者とお見受けした。 この先生、この治療法、この病院、すべての面で幸運を実感した。今後、たとえ転移したとしても この治療法を選択したのは正解であると確信。 8月1日(金) A室 前半三人目と四人目 8時前安田先生来室。 胸部に軽い胸焼けのような不快感が持続する。 ガスター、アルロイドに続いてプロマック顆粒を処方される。 第2週の照射完了。気分転換に千葉市まで出かける。 映画を見ようと思ったが見たいものがなく何もせずに帰った。 山本氏、山口氏と懇談。両氏とも前立腺がんで入院。314万円コース。 夕食時、FY氏の漫談で大いに盛り上がった。 奥さんと出会ってから50数年朝な夕なに『愛している』『捨てないで』を連発しているとの こと。 このFYさん、山本氏と朝の散歩中、奥さんからの電話に「お前悲しむな俺と同じように役に 立たなくなった人が沢山いるぞ。今隣にいる人も男だが、女性ホルモンを打たれてピンクにな っている」と言ったそうだ。このほか「がんは水素素粒子によって起こるという説」や荒唐無 稽の話に病を忘れて笑えた。本人はすごくまじめに話をしていたのだが・・・ 8月2日(土) 今日は何の予定もない。昼前に都内まで出かけたがものすごい暑さで早々に退散した。 夕食前、安田先生がお見えになった。この日は休みなのに出てこられたとのこと。 照射の範囲、退院の見込み、照射室A,Bに分けているが私の場合垂直方向のみ照射している こと。分けているのは稼動を平準化するためであることを教えていただいた。患者用コリメー タは脳や眼球など患部が小さく精密さが要求される場合作成し、それ以外はコンピュータ制御 の多様コリメータで照射範囲を制御するとのこと。 照射の範囲は転移を警戒し、喉仏の下から胃の噴門部のリンパ節まで2分割していること。 幅もリンパ節を網羅するためある程度広く取っていること。 照射の効果判定は14日に内視鏡検査で行うこと。生検は疑わしい場合に限り実施し、なるべ く食道壁にダメージを与えないようにすること。などの説明を受けた。 HP用にPETなどのデータを依頼した。 7時頃中村勝洋君3回目の見舞いに来てくれた。「落語への招待」という本を頂いた。 この日は千葉港の花火大会で、病室の窓から良く見えた。ただ風向きが悪く煙でかなりさえぎ られたのは残念であった。 8月3日(日) 10時前に妻が来院、長女も少し遅れて面会に来た。洗濯物を渡し、着替えを受け取る。 二人とも個室は初めてだったが、結構良いじゃないとのたまわった。 照射の副作用がだんだん強くなってきたが、まだ十分我慢できる範囲である。 高校野球が結構面白かった。 8月4日(月)  今週は月曜日から照射が始まり木曜で終了、私はすべてA室で照射。照射人数も日を 追って少なくなり、7日はたった6人で終了する。 朝の散歩時にコンビニに寄って永谷園の「お茶漬け海苔」や桃屋の「ごはんですよ」などを購入。 朝と夕方 安田先生來室。 今日は後半3人目と4人目、次回から1回だけになる。 8月5日(火) 朝、胃や胸に異変を感じる。水を飲むと痛みが走り苦しい。ちびりちびり飲めば良いことが分か った。食事が摂れなくなる不安を感じ、近くのコンビニでプリンやゼリー、チョコレートを購入。 それでも朝食は意外にスムーズに食べることができた。 咳が出ると胸や胃がかなり苦しくなり少し不安を感じる。 朝と夕方 安田先生來室 副作用の程度は標準的で特に心配ないとの事。色々気を遣ってくださ り申しわけなく思う。照射終了後から数日痛みのため食事が摂れなくなる可能性があるが2,3 日で回復に向かうとのこと。このところ昼食はかなり残してしまうようになった。 今日はいつも一緒に食事をしていた山本氏、山口氏が退院。FY氏も明後日には退院の予定で顔 見知りはいなくなってしまう。肝臓がんや肺がんの患者は2,3日で入れ替わるので名前を覚え る間もなく親しくなることが難しい。それに先週から入院してくる患者はかなり年配の方が多い。 8月6日(水) 痛みは前日とほぼ同じ。朝と夕方 安田先生來室。 照射は前半2人目で朝食待ちの指示、9:10に案内があり終了したのは10時過ぎ。結構時間がかか った。朝食を食べる気がしなくなりパス。1日中食欲が出ず倦怠感がある。 時々咳が出る。また胃が絞られるような痛みがある。強烈なものではないが憂鬱にはなる。 あまり冴えない一日であった。あと1,2週間の辛抱だ。タンシチューを食べたい。本丸亭の塩 ラーメンも食べたい。お粥はたくさんだ。見たくもない。 恋の病に似て、胸が痞え物が喉を通らなくなってきました。若い頃は、こんな切ない思いをした ことがないのに還暦を過ぎてからこんなことになろうとは・・・・ 8月7日(木) 照射完了 朝、採血 今日からマズレーン・S(胃の粘膜を修復・保護)、 ボンタールシロップ(痛みを抑えたり熱を下げる)が処方された。 朝と夕方 安田先生來室。夕方血液検査の結果を説明してもらった。 γGTPは48、酒を飲んでいる頃と比べ革命的に下がっている。肝機能を含め血液検査では 異常は見つからないとのこと。安田先生は明日から休暇のため、この間診ていただく今田先生 を紹介された。若い先生だがなかなかの好青年である。 今日で大部屋で一緒だった人はみな退院した。ほとんど全員入れ替わったようである。 今週は肺がんや肝がんの人が多く、1,2回の照射で皆帰って行くため入れ替わりが激しい。 残っている人は眼の奥の腫瘍とか、腹部の肉腫で非常にまれな病気だという人など手術が難し い難病の人が多い。前の病院では打つ手がないといわれ、ホスピスを紹介されたとか、死を覚 悟して奥さんと泣きあったという人もいた。この病院は子供や親戚の人がインターネットで探 し出し、診察を受けたという人ばかりだ。本人が自分で探し出したという人にはあまりお目に かかれなかった。そのせいかこの病院を選んだ理由は手術をしないでも治るからという人が多 く、重粒子線のことにはそれほど関心はなく、皆一様にこの病院が見つかり奇跡のようだと単 純に喜んでいる人が多かった。 切らずに治るということがどれほど価値のあることか手術至上主義の外科医に見せてやりたい と思った。 患者は全国から集まっているが、九州から来ている人が結構多いのに驚いた。なぜだか北海道 の人は見つからなかった。皆、交通費が大変だといいながら命には代えられないと言っていた。 大分から来ている人は眼の奥にできた腫瘍のため、ものが二重に見え頭痛も酷く医者から手術 も不可能と見離されたが、ここへ来て重粒子線照射を受けたら、腫瘍が縮小し、新聞も普通に 読むことができ頭痛も治まったそうだ。まだ顔面が赤く腫れているが、ちょっとひどい日焼け 程度である。滋賀から来ている同じような症状の人も順調に回復していると明るい顔で話して いた。 10日午後から咳が出始め、夕食時にはかなりひどく、半分しか食べられなかった。 11日から17日まで咳のため食事はほとんどできなかった。 12日から17日まで6日間点滴、食欲もなくなった。 13日採血 CT 8月11日(月) 昼過ぎ、中村勝洋さん、森井さん、前嶋さんが見舞いに来てくれた。 前嶋さんと森井さんが病院に行くということで、中村教授が駅まで迎えに行ってくれ、3人一緒 に来られたというわけである。 森井さんは私よりはるかに重大な大病を持っているのにわざわざ来てくれ、かえって心配になっ た。彼は放射線治療の限界についてレクチャーしてくれたが、自分に都合の悪いところは適当に 聞き流した。 この日は朝から調子が悪く、朝は半分しか食べず、昼はまったく食べない状態でどうなることか と思っていたが、見舞いがあったときは体調が良かったのでラッキーであった。 やっと病人らしくなったと我ながら思った。 8月14日(木) 採血の結果、肝機能の悪化が判明。ポンタールの服用を中止。 内視鏡検査の予定だったが咳がひどく中止。 8月15日(金) 退院予定日であったが、食事が取れるようになるまで入院を継続することになった。 この日、昼過ぎに中間君が見舞いに来てくれた。パソコンを使って重粒子線治療の説明を したが、自身の食道全摘手術と比べ、あまりの違いにかなり驚いたようであった。 こんな病院があるのかとしきりに感心するので調子に乗って治療費はタダだし、入院患者 は現在4名でハーレム状態、保険が入れば大もうけと精一杯うらやませてあげた。 彼の手術跡も拝ませてもらいましたが腹腔鏡手術のおかげか傷跡は予想より小さいもので したが大変な手術を受けたことが良く分かるものでした。 8月16日(土) 咳止めが全く効果がなく、咳き込むと何とかして欲しいと思った。丸山さんのメールによ ると、照射により食道の周りの迷走神経が刺激されて咳が出るのではないかということで あった。 2週目の後半から、胃や食道に異変を感じ食欲もなくなったが、これで重粒子線が当って いるのだという安心感すら湧いたくらいで、手術のことを思えば文句は言えない程度であ る。ただ3週目の終わり頃から食事を見ると猛烈に咳き込み、とても食べるどころではな くなった時は参ったが、この日リン酸コデインを処方され小康状態となった。 8月17日(日) 咳が少し軽くなるも食欲なし。空腹感がないのが不思議だった。 7月24日に68kあった体重が8月3日に66k、その後12日まで同体重を維持したが 11日から食べられなくなったので、この日64kになった。 はからずも、ダイエットの効果がでたかのようにちょうど良い位の体重になった。 8月18日(月) 朝起きてすぐ採血があった。体調はあまり変わらないが、咳さえ出なければ普通に生活でき ヒマをもてあました。 夕方魑魅魍魎の作者・安楽君が見舞いに来てくれた。銚子での講演の帰りだという。 今回の入院では見舞いを断っていたが、同期生が結構来てくれ、やはり嬉しかった。 彼との面談中、安田先生が来られ、採血やCTの結果が良いので明日退院しても良いとの話 があった。急なことだったので面食らったが、すぐ家内に電話して迎えに来てもらうことに した。 8月19日(火)  退院 午前中、胃内視鏡検査があり、駆けつけてきた家内とともに検査結果を聞いた。 患部の写真を見ながら説明を受けたが、食事は極端に熱いものや刺激の強いものに注意する くらいで普通に食べても良いとのことであった。 素人目には患部は汚らしくあまり治っているように見えなかった。また検査のためヨードを たっぷり撒かれたので不快感が強く、気分が悪かった。 この後、退院手続きを行い、個室代24万円ほどを含む治療代32万円弱を払い、仮釈放と なった。臨床試験の有り難さをずっしりと感じた。 次回は9月9日重陽の節句にチェックを受けることになった。 全ての手続きが終わった頃には、病院内の食道のサービスも終わっていたので、家内の運転 する車で自宅に向かい、途中でモスバーガーを買って食べた。 病院では殆んど食べられなかったのに、時間はかかったが1個丸々食べてしまった。 精神的なものが、如何に大きな影響があるものか、少し恥ずかしさも感じながら嬉しかった。 夕食は、退院祝いも兼ねて行きつけの寿司屋にしたが、やはり体調はまだ万全ではなく、美 味しさも今ひとつ感じられず、少しのお酒でも酔いがすぐ回った。
 

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